どうも。わとむ2号です。
今回は、福井のご紹介(歴史編)その3と題して「福井の名前の由来」について書きたいと思います。
私達の住む福井県が以前は「越前」という名前であったことは以前述べましたが、それがなぜ今の福井という名前になったのでしょう。その謎を解くカギが、福井城址(現在の福井県庁)の中にありました。
現在でも全国有数の石垣を誇る福井城址(奥の建物は県庁)です。福井城(当時はまだ北の庄城)は、関が原の合戦(1600年)後、戦に勝った徳川家康が、越前の国(68万石)を家康の次男である結城秀康に与え、翌年(1601年)より6年の歳月をかけて建てられました。完成した城は、四方2Km以上にもなる全国でも有数のお城だったようです。
ということは、今年が福井城が完成してからちょうど400年にあたるんですね。
足羽川などを天然の外堀として5重の水掘りが囲んでいた福井城の天守閣跡地です。福井県庁の北西、福井県警本部の北側に、ひっそりと忘れられたように石垣だけが残っています。
実はここが福井という名前の由来(諸説あり)に重要なんです。この写真には写っていませんが、この右側に井戸があるんです。
ついでに、この写真では解りませんが、石垣は1948年に起きた福井大震災によって崩れている箇所があります。
これがその「福の井」と呼ばれる井戸です。いつでも十分な水があったため「福の井」と呼ばれたそうです。
もうお分かりですね。「福井」という名前はこの「福の井」から名づけられたという説があるわけです。
ではなぜ名前が変わったのか?それは僕の10月5日付けブログ「福井のご紹介(歴史編)その1」で福井に関する印象とあまり変わらないものだったようです。つまり、メジャーになれない!家柄は超一流なのにパッとしない。
そう考えたのかどうかはわかりませんが、福井藩第3代藩主・松平忠昌が1624年、『「北の庄」って名前イヤ~、そもそも「北」という字は「敗北」を連想させるからイヤ~!』といって名称を変えたようです。そこで名水として知られていた「福の井」から福井という名前にしたそうです。
いずれにせよ、福井はその後もあまりパッとせず、所領をどんどん減らされていくわけでした・・・。
でも幕末には、偉人を多数輩出したんですよ。
それにしても、この立派な石垣をはじめとして福井城址が観光名所になるといいんですけどね・・・。
ちなみに4層5階もあった立派な天守は1669年に焼失して以来、財政難で再建されることはありませんでした。